高尾山・陣馬山ハイキング

前回の5月に続き、2回目の高尾山から陣馬山までのハイキングであるが、今回(11/23)は「なんとかなるさ」のいい加減な性格が功を奏してか、なかなかできないような貴重な経験をすることができた。

高尾山登山口は5月に来たときに比べ、大変な込みようである。リフトに乗るのに50分待ち状態。歩いて登ればよかったと思ったがもう切符は買っているので仕方なく列に並ぶ。前回は吊橋を渡る4号路を選んだが、今回は普通に1号路を通った。速く歩きたくても大勢の人で歩けない。結局、高尾山頂上に着いたのは1時40分。ここから陣馬山までは急いでも4時間くらいかかるから、日は暮れてしまうだろうとちょっと不安がよぎる。頂上は素通りして急いで先に進む。

もみじ台を超え、小仏城山に着いたのは2時半。せっかくなのでなめこ汁と一番搾りを買って20分くらい休憩。なめこ汁はなめこと豆腐だけが入った非常にシンプルなもの。

再び歩きだすと、胃の中でビールとなめこ汁がチャッポンチャッポンという始末。ようやく景信山に着いたのは3時40分。

景信山には数人の人がいた。峠の茶屋の人だろうか、3人のハイカーと会話しながら、天気がよければ、富士山があちら方面に見えて、陣馬山がこっち方面だと説明している。この時間に陣馬山に行くのは無理だからまた別の機会があったらいくといい、などと言いながらこちらに近づいてきた。私が「これから陣馬山に行くのは無理ですか?」と聞くと「上り下りがあり、少なくとも2時間はかかる。着くのは6時くらいで真っ暗だから無理でしょう。行くのはちょっと危ないですよ」と言われた。ここの峠からのバス停までの道を3人のハイカーに説明するために離れていった。やはり、無理かとあきらめかけたが、急いで歩けばなんとかなるさと思い、意を決して峠の坂道を下り陣馬山方面に向かった。

景信山を過ぎると全くと言っていいほど人がいなくなる。山道を一人足早に黙々と歩く。太陽も西にかなり傾きかけており、あたりはだんだん薄暗くなってきた。今の季節、日没すぎるとあっと言う間に暗くなってしまう。この山道で懐中電灯がなければ、とても歩けるものではない。足元が見えなければ木の根っこに躓いたり、段差に転んだりする。一歩間違えると坂を転げ落ちて怪我することになる。道を外れて自分がどこを歩いているのかさえ分らなくなることだってさえある。やっぱり無理か。戻ろう、と思い踵を返し数歩歩いたところで、いや待てよ、景信山に戻ったところでバス停までの道が分らない。戻っても、もう誰もいないだろう。初めての道は距離感がわからないから、暗闇の中を歩くのは不安だ。とにかく、暗くなる前に陣馬山に着くことに集中した。芥川龍之介の「トロッコ」の少年の気分になったようだ。

明王峠に着いたときちょうど日没だった。ここから陣馬山までは急げば40分くらいで行ける。なんとか間に合いそうだ。よく山で遭難した人の捜索のニュースを見ると、日没のため捜索を打ち切ったなどと報道される。人の命がかかっているのに、日没くらいで捜索を打ち切らないで夜を徹して捜索すればいいのになどと勝手なことを思うが、余程の経験がない限り足元が悪く真っ暗な山道を歩くのは、たとえライトを持っていたとしても困難であることが分る。

途中、標識はなかったが「まき道」らしき道があったので、そちらを通ることにした。前回来た時は通った記憶はない。しばらく進むと倒木が道を遮っていた。ちょっと嫌な予感がしたが跨いで通り過ぎた。しばらく進むとまき道との合流点らしきとこに出たが、さらにしばらく進むと、あれ?この道はさっき通らなかったか?という不安な思いがした。辺りは暗くなっているので殆ど様子が見えない。同じところを堂々巡りして全然前に進んでいない、という悪夢のような感覚が頭をよぎり血の気が引いた。落ち着いて空を見上げ、かすかに夕焼けの残照が左手方向に見えることを確認した。方向は間違っていないようだ。しばらく進むと足元に「関東ふれあいの道」の標識があった。緊張が解けてほっとした。

しばらく進むと前方に小高い峰が見えてきた。陣馬山である。最後の急な坂を上り、頂上に着くと、3人くらいの人のシルエットが見える。こんな時間に?と思ったが、近くにキャンプ用のテントが張ってあった。今晩はここで泊まるらしい。空は雲ひとつない晴天であり、今夜は満天の星が見えるだろう。しかし、富士山方面は雲がかかっていて富士山は見えなかった。

当初は陣馬山から中央線藤野駅に下る道を行きたかったが、薄暗い中で初めて通る山道は危険である。和田峠に下りる道は前回来た時の記憶では丸太で階段状に整備されていた。途中に分かれ道はないはずだ。また、和田峠からバス停までの距離感もだいたいわかっているので正しい道を歩いているのだろうかという不安もない。いずれにしても、急いで下山しないと本当に真っ暗闇になってしまう。写真もゆっくり撮ってなんていられない。三脚は使わず手持ちで撮った。

幸い月明かりがある。しかし、坂道を下っていると、月は木々に遮られて殆ど役に立たなくなった。丸太でできた階段のうっすらと白い部分を頼りに坂道を降りていった。途中階段が途切れて平らで広いところがある。あれ?どっちへ行けばよい?と一瞬あせるが、また階段らしきものが見えてきた。そのまま進み、躓いて転ぶこともなく、無事に和田峠に着いた。まだ5時であるが、辺りは真っ暗である。舗装された車道をここから陣馬山高原下のバス停まで延々と歩くことになる。山道を歩くことに比べればなんともないが、街灯も民家も全くなくて真っ暗である。月は山に隠れて見えない。目を開けているのに前が見えない。時々車が通り、ヘッドライトに辺りが照らされる。車が通り過ぎると再び辺りは真っ暗になり、白いガードレールがうっすらと見えるだけである。そのガードレールを頼りに慎重に歩き進む。ところどころでガードレールが切れている部分がある。進む方向が分らない。右側は沢があり水の流れる音が聞こえる。路肩に寄りすぎて足を踏み外すのではないかと不安がよぎる。

しばらく暗闇の中を歩いていると、一台の車が止まって「大丈夫ですか?」と声をかけてきた。よほど気になったのだろう。「はい。大丈夫です」と答えると「あきる野方面に行くけれど、よかったら乗りませんか」と言ってくれた。眼鏡をかけた50歳をかるく超えているらしい紳士風の人である。会社ではそれなりの立場にいる人だろうという想像が一瞬頭に浮かんだ。助手席には奥様と思われる女性が座っていてこちらを見ている。しかし、こんな暗闇の道を一人歩くなんてめったに経験できるものではない。車に乗ってしまうのはもったいないと思い「ありがとうございます。でも大丈夫です。これも一つの経験だと思って、むしろ暗闇を楽しんでいます」と応えた。予想外の言葉だったのだろう。ちょっと間があり「そうですか、気をつけてくださいね」と言われ、助手席からも「お気をつけて」という声がした。時刻は6時前とはいえ、こんな暗闇を明かりも持たずに一人で歩いているのはちょっと変な人、かかわらない方がよいと思い無視するのが普通だと思う。勇気ある親切に感謝した。

やっと街灯と民家が見えてきてバス停に着いた。バス停には若い男女とちょっと年配の女性がいた。若夫婦とその母親だろうか。バスの時刻表を覗き込んでいると、若い方の女性が「次は40分なんですよぉ。さっき行ちゃったばかりなんですぅ。灯りも持たずに和田峠から来たんですかぁ?すごぉ〜い」なんて妙なことで感心された。バスの時刻まで40分以上ある。寒くなってきた。年配の方の女性が「こんなときは熱燗でキュッといきたいね」なんて誰にともなく言うから、「もうちょっと早ければあそこのお店が開いているんですけどね」と前回来た時2人のおばちゃんとビールを飲んだことを思い出して言った。「ちょうど来た時閉めるところだったんですよ。閉めて良いですか?って聞かれたけれど、おじさんがパジャマ着てたんで、いいですって遠慮しちゃった」という。そういえば、前回もまだ明るいのにパジャマを着ていた。もしかしたら、一日中パジャマを着ているのかも知れない。

パスは10分くらい前に来た。PASMOも使える。4人が乗り込み、途中で乗る人もなく40分くらい揺られJR高尾駅に到着した。

あれから5日、普通ならこのくらいの山歩きで筋肉痛になることはないが、急いで歩いたためか2日間くらい足が痛かった。

ところで、高尾山くらいで遭難する人がいるのだろうかと検索したところ、関連する記事がたくさん出てくる。高尾山で遭難するなんてあり得ないという意見もあるが、確かにケーブルカー駅から高尾山山頂までの間ならよほどのことがない限り遭難なんてしないかも知れない。しかし、山を甘くみてはいけない。誰も遭難するとは思っていないが遭難してしまうのである。何の疑問もなく普通に歩いていて、あれ?ちょっとおかしいぞ、と気づいたときには遅いのである。自分がどこを歩いているのか分からずパニックになる。冷静な判断ができなくなり、徐々に泥沼にはまっていくのである。日没を過ぎればなおさらのことである。今回はいい勉強になった。