美しいもの

先日、いつものように通勤電車の中でパソコンのキーボードを叩いていると、隣で70歳を超えていると思われる女性3人組が、B5サイズくらいの写真を見ながら、見事だねぇ、すごい綺麗、などと感嘆していた。気になって覗き見したら、鳥の形をした雲だった。紛れもなく、平民金子さんが撮ったのと同じ雲である(勝手にリンクさせてもらいます)。写真はその老齢な彼女本人が撮ったものであると思うが、テクニカル用語がぽんぽん飛び出して驚かされた。


雲が美しいという話で、いつも思い出すものがある。中学のときの国語の教科書に載っていたもので、確か「美しさの発見について」というようなタイトルのエッセーである。国語は大嫌いな科目でいつも授業中は憂鬱だったが、そのエッセーはとても印象に残っている。それは、芥川龍之介が子供のころのエピソードで、学校の先生が美しいものの例を挙げるように生徒に言ったところ、多くの生徒が花や富士山を挙げたのに対し、龍之介が雲と言ったというのである。生徒達は笑い、先生は雲が美しいなんておかしいと叱ったという。そのエッセーでは龍之介が幼少のころから常人にはない美に対する豊かな感性を持っていたことを示すものだとし、美は対象にあるのではなく、それを認識する人間の心の内にある、という趣旨の内容であった。教科書の挿絵には「朝焼けを彩る美しい雲」というキャプションがついたモノクロの写真が載っていたことも明確に記憶している。

何かを美しいと感じるのは、確かに、対象のみに存在する属性ではなく、それを認識する人間の側にもある。数学や物理の方程式が美しいと感じるのは、突き詰めれば私達の脳が数学や物理が意味するところの深い何かと繋がりがあるのではないかと思う。プログラムにも美しさがあるとよく言われる。理路整然としたコードが美しいときもあるし、ちょっとトリッキーと思えるが非常にコンパクトに表現されたコードが美しいときもある。プログラムの美しさというのは数学や物理の美しさと共通する何かがあるのだろうか。恐らくそれは単純性と一貫性と適用性といったものだと思う。これについては、まだまだ思索段階であるが、何か語れるほどにまとまったものができたら、その考えを出していきたいと思っている。

PS.
平民金子さんの写真で、僕が最初に見て強烈な印象を受けたのは下の写真。メッセージ性が高く、僕もこんな写真が撮りたいなどと身の程知らずな創作欲などが沸き起こりました。