披露山公園−逗子海岸−長者ヶ崎、そして立石を歩いた

すっかり秋らしい天気である。世の中はシルバーウィークとかいって5連休であるが、月・火・水と出勤しなければならないため、出かけるなら今日しかないと思い立ち、久しぶりにカメラをもって海を見にいった。

特に目的はない。延々と一人ただ歩きながらとりとめもないことを考える。行き先も特に決めていなかったが、電車の中でとりあえず逗子に行こうと思った。披露山公園は秋から春先にかけて4回くらいは行くお気に入りのスポットの1つである。家を出たのは10時45分で、11時半に逗子駅に着いた。逗子駅から「なぎさ通り」を通り、人もほとんど通らないような急勾配の裏山の道を登り披露山公園に着く。距離は短いが、かなり息が切れる工程である。天気は良いが大気の状態が良くないため、富士山は期待していなかったが、うっすらと見えた。冬の凛とした天気のときは、くっきりとした絶景を拝むことができる。ベンチに座り、ただぼーっと眺めていた。「カメラ撮って頂けますか?」という声に2回応えた。日本に富士山がなかったらどうなっていただろうか、などととりとめもないことを考えた。

小一時間くらいして、披露山公園を去り浪子不動ハイキングコースを下り、逗子海岸に向かう。いつもの自分のコースである。今日はめずらしく、途中で4回くらい人とすれ違った。


海岸沿いをひたすら歩く。葉山マリーナを超え、森戸神社に着く。石原裕次郎の碑には、ファンによるものだろうか、花束が置かれていた。

森戸の夕照は「かながわ50景勝」の1つであるが、ここから夕日を眺めたことはまだない。岩礁に立つ鳥居と裕次郎灯台とその背景に富士を見ることができるが、富士はぼんやりと霞んで見えるだけである。

さらに、海岸沿いを進み、葉山御用邸の前の海岸につく。私が勝手に「くじらの背骨」と呼んでいる小さな岬がある。

御用邸付近はいつものように防弾チョッキを着た警官が監視している。あわびやさざえの採取禁止海域であり、その監視ということであるが、どうみても、カヌーの練習をしている集団に対して、ヘリコプターが低空飛行で何度も旋回している。御用邸の警護が本来の目的なのかも知れないが、それにしても物々しい。

さらにしばらく歩くと、長者ヶ崎に着く。ここも夕日の名勝らしいが、ここで夕日を見たことはない。かつては賑わっていた面影のある場所であるが、ひなびた売店があるだけである。喉が渇いたのでスーパードライ350mlを買った。350円だった。高い。

長者ヶ崎から目指す立石まで約2.4Kmある。途中、広大な海を一望に見下ろせる歩道が2箇所ある。非常に爽快な気分になる。ここから眺める海も好きだ。特に春先がよい。優しい日差しに海面がきらきら反射してゆったりとのどかな気分になる。

立石公園には4時半に着いた。5,6人くらいが、既に三脚を構えて場所取りをしていた。冬ならばちょうど日没時刻であるが、まだ日没には時間がある。公園より先に砂浜がある。時間つぶしに行ってみることにした。砂浜は特に変わり映えはしないが、その先の防波堤で大勢の人が釣りをしている。小さな漁船が10そうくらい停泊している。なんとなく、遠い地方の寂びれた港町に来たような錯覚を覚えた。釣りをしているのは、親子づれがほとんどで、あまり釣れないのだろうか、しばらく眺めていたが釣れたところを目にすることはなかった。

公園の撮影ポイントに戻ると、ぎっしりと三脚が立ち並んでいた。ちょうど一人分くらいのスペースがあったので、そこに三脚を立てた。みんな、かなり立派なカメラを持っている。自分のはもう8年くらい昔のもので、解像度も低く色もよくないので、最新のものが欲しいが、なかなかそんな余裕がない。自称プロカメラマンのおじさんは相変わらず元気だ。それにしても、ここに来たときは必ず居るというのはどういうわけだろうか。

雲はないが、大気の状態は良くない。雲が多少あった方が夕日が映えるが、今日は面白みのない景色だ。それでも、30人くらいが集まって老若男女皆が夕日の写真を撮っている。写真とはなんであろうか。単なる記録か、思い出作りか、それとも、自己表現手段か。いつかは、人を感動させるような写真を撮りたいと思っている。

とりとめもないことをぐだぐだと書いてしまった。自分にとってプログラミングは自己との対話であり自己表現でもある。何か作りたいという漠然とした衝動があり、それを形にする。写真にもそのようなものを感じているが、よい写真を見ると自分にはとてもできないと完全に打ちのめされしまう。どちらも下手の横好きに過ぎない。長い人生この先に何があるのだろうか。それを見てみたい。