鎌倉の紫陽花(あじさい)

ちょうどよい時期だと思い、鎌倉にあじさいの写真を撮りに行きました。北鎌倉駅で降りて、まずは明月院へ。明月院は別名あじさい寺と呼ばれるくらいあじさいで有名です。ところが、横須賀線沿いの道を歩いて向かっていると、「明月院最後尾」のプラカードを持った人が立っています。そこからずっと行列ができているらしい。200mくらいはありそうです。まるでディズニーランドの人気アトラクション並の行列です。ちょっと並ぶ気にはなれなかったので、すこし先の踏み切りで横須賀線を横断して反対側の浄智寺に行くことにしました。思ったとおり空いていました。でも、あじさいはあまり咲いていません。


一応、一周して布袋さんのお腹も撫でました。


出口の専用駐車場にあじさいがまとまって咲いていました。


その後、ハイキングコースを歩き、源氏山公園にある葛原岡神社(日野俊基の墓)に出ました。
そこでのあじさいです。非常に繊細で可憐です。

すべての花には幾何学的な美しさがあります。一つの小宇宙のように感じられます。

ブルーとピンクのあじさいを見ると、いつもリトマス試験紙を連想してしまいます。色と質感が似ていると思いませんか?



銭洗弁天がすぐ近くなので、寄ってみました。やはりいつもより大勢の人がいます。


池の前の狛犬あじさいを撮りました。左にある「ん」狛犬あじさいも撮りましたが、それは省略。ちなみに、狛犬の「あ」と「ん」は英語ではAlphaとOmegaと言います。以前、知り合いの米国人を鶴岡八幡宮に案内したら、大鳥居の前の狛犬のところで、Alpha! Omega!と叫んでいたので初めて知りました。どちらも「はじめ」と「おわり」を意味しますね。でも、英語は口の形は合っていません。ところで、狛犬の起源はエジプトのスフィンクスとの説がありますが、私もそう思います。


ハイキングコースを歩いて大仏方面へ。このハイキングコースも普段は人はあまりいませんが、今日は沢山いました。下の写真は、たまたま視界に人がいなくなったとき撮ったものです。


大仏周辺も人で溢れていましたが、境内には見るべきものはあまりないので、パスしました。長谷寺に行こうと思いましたが、かなりの人だったため、ここもあきらめて、穴場である御霊神社に行きましたが、ここもいつもより大勢の人です。江ノ電の唯一のトンネルとあじさい、さらに踏み切りと神社の鳥居と絵になる被写体が揃った場所ですが、こんなに人が多くては写真は撮れません。朝一番で来ないと無理でしょう。


御霊神社の裏に咲いていた白いあじさいです。ケーキの生クリームで作ったデコレーションのようにふわふわした感じがします。隣のカップルの女の人が「なんか、おいしそう。食べちゃいたい」と言っていましたが、彼女にもそう見えたのでしょうか。


線路際に咲く花は郷愁を感じさせ、よく絵になります。


成就院へ向かう途中にあじさいに囲まれた赤いポストがありました。もうこんなポストはないと思っていましたが、思ってもみないところにあります。私がカメラを向けていたら、それで気づいたのでしょうか、それまで無関心だった人たちが、ポストの前で次々と記念写真を撮っていました。


次のあじさいの名所、成就院極楽寺坂の切り通しの南側に位置する小さなお寺です。普段は参拝するひとはほとんどいませんが、今日は蟻の行列のように人だかりができています。豪快に咲き乱れるあじさいが見事です。

ご覧のように、身動きできないくらいの人です。

初めて訪れる人も多いようで、海が見えることに感動したり、階段を下っても道路には出られずUターンしなければならないのかと思っている人もいました。道路に出られることを教えてあげましたが、この人込みからそのように思ってしまうのも無理ありません。

じっくりカメラを構えている余裕もないほどでしたが、背景をぼかせば、なんとか絵になります。できれば、海にももうちょっとピントを合わせるため、三脚を立てて絞りをずっと絞って撮影できればよいのですが、この人込みではそれはとてもできません。




極楽寺前のあじさいです。

極楽寺の近くの江ノ電の陸橋から撮ったものです。電車はまだかと待ち構えている人がいつもより大勢いたので、つい、つられて撮りました。

横でカップルが話した会話に思わず笑ってしまいました。

女:「デンシャモードで撮影した方がいいかな?」
男:「電車モードなんてないだろう」
私にも確かに電車モードと聞こえました。
女:「いやあるよ。デンシャモードで撮るね」
今のデジカメにはそんなモードがあるのかと電車のアイコンまで想像していたら、江ノ電がやってきて、パシッ、パシッ、パシッと音がしました。
男:「それは連写モードだろ」
女:「え?だからさっきから連写モードって言ってるじゃん」

どうやら、彼女は連写モードと言っていたのに、電車を待っているという状況がその男と私には連写を電車と聞こえさせたのかも知れません。


極楽寺駅をちょっと過ぎて左に曲がってしばらく歩けば、稲村ガ崎に着きます。
稲村ガ崎からは、江の島と富士山を眺めることができ、空気の澄んだ冬場の日没時には大勢のアマチュアカメラマンが集まる撮影のメッカでもあります。夕焼けのグラデーションにシルエットで浮かぶ富士山がとてもきれいです。私も撮影するために、ちょくちょく足を運びますが、このボート遭難の碑に関心を寄せるようなカメラマンはほとんど見かけません。しかし、私はこの碑の経緯を思うといつも溢れる涙をおさえることができなくなります。

碑の左側面には以下のような言葉が書かれています。


みぞれまじりの氷雨が降りしきるこの七里ヶ浜の沖合いで
ボート箱根号に乗った逗子開成中学校の生徒ら十二人が遭難
転覆したのは一九一〇年(明治四三年)一月二三日のひるさがりのことでした 
前途有望な少年たちのこの悲劇的な最期は
当時世間をさわがせました−がその遺体が発見されるにおよんで
さらに世の人々を感動させたのは彼らの死にのぞんだ時の人間愛でした−
友は友をかばい合い兄は弟をその小脇に
しっかりと抱きかかえたままの姿で収容されたからなのです
死にのぞんでもなお友を愛しはらからをいつくしむ
その友愛と犠牲の精神は生きとし生けるものの理想の姿ではないでしょうか
この像は「真白き富士の嶺」の歌詞とともに 永久に
その美しく尊い人間愛の精神を賞賛するために建立したものです

一九六四年五月一七日  逗子開成校友会
              鎌倉開成会

遭難者の氏名
牧野久雄 笹尾虎次 谷多操 小堀宗作
木下三郎 奥田義三郎 徳田勝治 徳田逸三
内山金之助 松尾寛之 宮手登 徳田武

事実は多少異なり、美化したものとの話があることも知っていますが、何故か涙がとまりません。今、こうして書いているとときも、泣けてしまうのです。

高く上げた右手は海に沈んでいく兄が弟をかばいながら必死で水面に救いを求めている手です。

下の写真は去年の12月に撮ったものです。ちょうどこの季節、その手に日輪が射しかかります。まさに二人の兄弟の魂が天国へと昇天するようではありませんか。


改めて、今日の写真です。天気が霞んでいて、逆光だったため、江の島はぼんやりしか見えません。江の島が写るようにするには、アンダー気味の露出が必要なため、フラッシュをたいています。あじさいの写りが若干不自然ですが、このサイズではあまり気にならないでしょう。


そのまま滑川橋まで海沿いを歩いて鎌倉駅まで行きました。


鎌倉駅は信じられないような込みようでした。さらに、北鎌倉で大勢の人が乗車し、通勤ラッシュ以上の状態でした。でも、今日は久しぶりにカメラをもって出かけたので、非常によい気分転換になりました。月曜日からまた仕事です。