エーテルは蘇ったのか?

ネット上の大方の反応はリリイではなく最近のSalyuそのものということのようだ。僕も最初に聴いた時はそのような印象を受けた。「清濁」感がない。特にハイトーン部分がリリイとしては受け入れられない。ボイストレーニングを積んだため、高音部がファルセットでなく地声で出るようになったということなのか。「グライド」「共鳴(空虚な石)」「飽和」「回復する傷」などの声は何処へいってしまったのだろう。

でも、僕にそんなことを言う資格はない。というのも、リリイをリアルタイムでは知らないからだ。初めてSalyuを知ったのは「VALON」。強烈な印象だったので今でもはっきりと覚えている。それは6年前のこと、スペースシャワーTVにチャネルを切り替えたら、ちょうど、二つの箱(そのときはバーコードとわからなかった)の中で右の男がマジメくさった顔でラップを歌っていた。左の女性がこのラップにどうやって加わるのかと見ていたら、祈るようなしぐさで両手を胸の前で絡めて目を閉じるではないか。ラップじゃない、と思った瞬間の第一声に衝撃をくらった。砂に水が浸み込むように彼女の声が僕の全身を包み込み、心の琴線に触れた。何十億光年もの彼方の宇宙から、あるいは、人類が滅び去ってしまった後の遥か遠い未来から届いたメッセージであるかのような声と旋律に釘づけになり、魂が昇華され宇宙と一体になった至高感のような感覚を覚えた。その後しばらく、他の音楽は全てノイズになった。

いったい、この女性は誰だ?

直ぐにネットで調べたが、あまり情報がない。YouTubeは既に登場していたが、音楽PVがアップされることはほとんどなかった頃だ。

男の方はRIP SLYMEのメンバであることは直に分かったが、そっちはどうでもいい。肝心の女の方の情報が少なかった。リリイ・シュシュという読者参加型のインターネット小説があり、それが映画化され、その中のカリスマ歌手という設定で登場したらしいことはわかった。現在は吉祥寺(下北沢だったか?)付近を中心にライブハウスなどで活動を行っているという程度の個人ブログからの情報しかなかった。椅子に座って歌うスタイルは当時からのものだ。

とにかく、「リリイ・シュシュのすべて」という本が角川文庫から出版されていることがわかり、早速いくつか本屋さんを探し回り入手した。

読んで驚いた。小説の中でのリリイに対する音楽描写は紛れもなく僕が「VALON」から受けた印象そのままだった。どういうことだ?小説中の歌手が実在しているということか?あるいは、これは単純な小説ではなく、小説形式のドキュメンタリーなのか?それにしても、どうして小説と実在がこれほど一致するのか?しかも形のないものに対して。僕は混乱した。

リリイ・シュシュ、本名鈴木圭子。1980年12月8日生まれ。ジョン・レノンがファンの銃弾により倒れたその日に生まれた」これは事実だとずっと思っていた。それほどにまでに、この小説にはリアリティがあった。ネット上の掲示板での対話をベースにした小説という二重のバーチャルでありながら、掲示板に登場する人物には強い個性があり、リアルそのものである。十四歳前後の陰鬱な荒廃した日常の暗闇に射す一筋の光、それがリリイの音楽、唯一の救い。

小説を読んだちょっと後に、偶然にも(シンクロニシティか?)専門チャネルで放送された映画を観たが、内容にはかなり辛いものがある。何度も見たいという映画ではない。本とストーリが若干違う。暫く前から、YouTubeに全編upされているが、コメントを見るとほとんどが英語だ。「回復する傷」が映画「Kill Bill」にも挿入されているからだろうか。リリイファンが海外にも大勢いることは確かなようだ。

Salyuの魅力は一体どこからくるのか?とびきりの美人とか可愛いというわけではない(ときたまかなり可愛い表情もするけど)し、音程が外れることもよくある。話方はぎこちないし、歌がうまくて声の綺麗なシンガーなら他にいくらでもいる。言葉では説明できない何かがある。その無邪気な笑顔と包み込むような歌声と飾りけのないまっすぐな性格。それらが絡み合い具現化した一つの個を形成する。個人の感性の問題であり、好みは大きく分かれるものだ。

小説「リリイ・シュシュのすべて」の中には音源化されていない曲がいくつかある。しかも、「回復する傷」には詩がついている。これは何を意味するのか?もしかしたら、壮大な実験が行われているのだろうか。ネット上でリリイファンとSalyuファンの意見が食い違うのは、さながら、フィリア時代のリリイとその後のリリイのファンがお互いを主張しているのと同じだ。

リリイは現在進行形で実在して進化している。小林武史Salyuのデビューを遅らせたのはリリイ色が抜けるのを待つためだと言った。しかし、それは不可能であり失敗に終わった。リリイを演じているSalyuSalyu を演じているリリイ。両者が同一化することにより、歌姫を超えて神格化した新たな女神が誕生し物語は完成する。仮想と現実の融合。「エーテル」はその布石なのではないだろうか。リリイとSalyuが混じり合う「エーテル」を何度か聴いていらそんな妄想にとりつかれた。それは滑稽な妄想かもしれない。でも、一つだけ確かなことが言える。それは、リリイとSalyuの歌に出会えて本当によかった、心からそう思えるということ。

昨日のライブの状況をtwitterなどで見ると、リリイかどうかとは無関係に、とにかく良かったという意見が大半なので、本当に良かった。まぁ、ちょっと荒れているところもあるけど。

ライブには行かない怠け者のSalyuファン

PS.
初期の頃見たインタビュー記事がちゃんと残っていた。懐かしい。