ロボットとは何か 人の心を映す鏡

ロボットとは何か――人の心を映す鏡  (講談社現代新書)

ロボットとは何か――人の心を映す鏡 (講談社現代新書)

マスコミにも大きく取り上げられたリアルな人型ロボットを開発している阪大の石黒教授の本。教授の外見にインパクトがあるが、それに負けず考え方もユニークだ。不気味なくらいリアルなものをTVで見て、なぜ女性ロボットなのか、ちょっとアブナイ方向へ行ってしまうのではないかと心配してしまったが、そんなことは本人も明確に意識しているわけで、また、女性であることの理由もちゃんと本書で説明されている。

ロボットとは何かは、すなわち、人間とは何かという哲学的な問題を探求するとと同じである。本書は、いきなり次の言葉で始まっている。

「人には心はなく、人は互いに心を持っていると信じているだけである」

かなり虚無主義的な表現であるが、人間とは何かをロボット工学者として探求した結果の結論であり、この言葉の真意は本書を読めば伝わってくる。

どうすれば人間のように振舞えるロボットを作ることができるか?それを追求した結果、

「ロボットの研究とは人間を知る研究である」

という結論に達したという。どのような研究分野でも究極の行き着く先は「人間とは何かを知る」ことであると僕自身感じているので非常に共感を覚える。

そして、

「ロボットは心を持てるか?」

という問題に対して、平田オリザとのロボット演劇を実践している。ロボットはいかにもロボットという形状のプログラム通りに動作するだけの機械であるが、観客の多くがロボットに心を感じたという。

心というものには実体はないが、人間なら誰もがその存在を感じるものである。しかし、それは自分自身では正確には知ることができず、

「自分の心も、他人の心も、観察を通して感じることでその存在に気がつく」

ということになる。これならば、心が何かは分からなくても、人間のように振舞うロボットに対して心を感じることが可能となる。

僕自身、認知科学や心理学に興味を持ち、純粋なソフトウェアだけで知能は可能だとかつては信じていた記号主義的な立場であり、ブルックスのような現実のロボットを使って環境と相互作用することの意味は分からなかった。百足ロボット如きに知能が生まれるわけがないと。

ところが、外見が非常に精巧にできたアンドロイドの研究が知能の問題を飛び越えて心の問題に迫っているのは大きなブレークスルーであった。遠隔操作型アンドロイドであるジェミノイドが心身問題にまで踏み込んだ研究の新たな方法論を提供したのはまさにパラダイムシフトであり、「世界の100人の生きている天才」で26位に選出されたのも頷ける。


ところで、アンドロイドが女性で、心がどうのこうの、ということになると、綾瀬はるか主演の映画『僕の彼女はサイボーグ』をどうしても思い出してしまう。タイトルはサイボーグだけど、実際にはアンドロイドだ。この映画、単純で面白みのないタイトル名でちょっと損しているんじゃないかと思う。初めはアイドルの単なるラブコメ映画と甘く思って見ていると、後半からの予想外の急展開が待っている。終盤でのストーリはじ〜んと心に沁みて泣けてくる。TVではちょっと天然キャラ的な綾瀬はるかを大いに見直したりした。

この映画でもアンドロイドと心の問題に触れている。2年以上も前の映画なので今更ネタバレということもないだろうし、複数回の鑑賞に耐え得る内容である。いや、むしろ1回見ただけでは見落としている伏線が多い。

僕であるジローがアンドロイドである彼女を好きになってしまうのであるが、それは一方的なものか、もしかしたら

「心が通っていると思うのは僕の錯覚なのではないだろうか」

と自問する。僕はこれほどまでに彼女を好きなのに、彼女の方は何も感じないというのは切なく苦しい。

「愛しているって言えないなら、私の心を感じる。心を感じることができると言ってくれたらいい」

とジローが言うシーンがある。「感じることができる」という表現がポイントであるが、人間であれば感じることに対して普通は可能動詞は使わない。アンドロイドの彼女にとって感じることも能力(徐々に発達した機能)の一つであり、感じなくてもよいから、せめて感じることができると言って欲しいと。ちょっと矛盾しているようだが、これは、論理学的にはメタな表現であり、いかにも人工知能的な表現である。

そして、大震災の時に、自らを犠牲にしてジローを救出し、

「わたし、あなたの心を感じる。感じることができる」

と言う。人間がロボットに心を感じる以上に、ロボットが人間に心を感じる方が高度なことだと思うが、心とは「観察を通して感じることでその存在に気づく」ものであるから、ジローが自分に対してとった行動を通してジローの心の存在に気づいたのである。

ところで、最後のシーンに登場する彼女が人間かサイボーグかという議論があるようだが、僕は何の疑問もなく人間だと思っていた。サイボーグだという意見の根拠は彼女がサイボーグが着ていたような服を着ていることと、「私はあなたの心を感じることができる」と言ったことである。しかし、それでも明らかに彼女は人間である。服については、瓦礫の町で彼女がシュルエットで登場するシーンであり、それが一瞬で彼女であることを視聴者が分からなければならない。そのためには、綾瀬はるかの豊満な体のラインが浮き出るような演出が必要だった。「感じることができる」については、ジローと過ごした過去の記憶は彼女自身のものではなく、サイボーグに埋め込まれた記憶チップを介して間接的に経験したものに過ぎないけれど、それでもあなたの心を感じることができる、と解釈できる。そして、何よりも彼女にとって100年以上も昔のこの世界で、あなたと共に生きていくという覚悟のような決意と、サイボーグでは見せなかった満面の笑みが何よりの証拠である。

石黒教授のその後の本に『ロボットは涙を流すか 映画と現実の狭間』というのがある。まだ読んでいないが、「A.I.」や「ターミネータ」「サロゲート」など題材にしているらしい。映画の「彼女」は心を感じることはできても、涙を流すようにはプログラムされていなかったようであるが、石黒教授には是非この『僕の彼女はサイボーグ』も考察の対象に加えて欲しいところである。