心は孤独な数学者

数年前に読んだ本であるが、ちょっと読み直してみたくなったので読んだ。

国家の品格」がベストセラーになった数学者藤原正彦の随筆である。著者のあこがれの数学者ニュートン、ハミルトン、ラマヌジャンの故郷(それぞれイングランドアイルランド、インド)を訪れ、幼少の頃からのエピソードを含め人間としての数学者を描いている。単なる伝記や紀行文でなく、それぞれの数学者の内面からの深い理解と作者独自の思いが述べられている。

3人の数学者の中では、最後のラマヌジャンへの思い入れが強いのだろう。ラマヌジャンはインドが産んだ奇才として数論関連に業績を残している。写真が3枚しか残っていないという。首を傾げ、睨みつけるような目のインド人独特の印象に残る写真を見た覚えがある。あれがイギリスから帰国した際のパスポートの写真ということか。

インドの片田舎で十分な教育を受けていないラマヌジャンが独学で数学を勉強して、夥しい数の公式を発見しノートにしたためていく。周囲にはそれを評価できる人はいない。果たして自分の発見した公式にどれほどの価値があるのかも判断できない。そもそもラマヌジャンにとって、公式は証明されるべきものという考えもなかった。それは夢の中で神から伝授されるものであり、疑いようもない真理として存在するものである。名の知れた大学教授に論文を送り評価してもらうが、奇人の戯言と思われ開封もされず送り返される。

そんな中、当時の最高権威とされるケンブリッジ大学の数学者ハーディの目にとまる。公式に証明が書かれていないため正しいのか正確に判断できないが、稀有の天才の出現と直感的に感じ、幾多の困難を乗り越え、ケンブリッジに招聘する。彼をして自分の数学界の最大の功績はラマヌジャンの発見だと言わしめている。数学研究に没頭できるだけの時間と経済的余裕ができたものの、宗教の違いからか、周囲とは馴染めず次第に孤立化していき、心身ともに衰弱していく。5年のケンブリッジ滞在後にインドに帰国し、1年後に病死するという悲運な32年の生涯を閉じる。

以下の件は本書を通じて僕が最も感動した部分である。

純粋数学というのは、数々の学問のうちでも、最も美意識を必要とするものと思う。実社会や自然界からかけ離れているため、研究の動機、方向、対象などを決めるガイドラインが美意識以外にないからである。論理的思考も、証明を組み立てる段階では必要となるが、要所では美感や調和感が主役である。この感覚の乏しい人は、いくら頭がよくてとも数学者には不向きである。」

ラマヌジャンの公式は「常人が想像できないほどの美と調和を有している」が、美からかけ離れたインドの如き混沌から何故ラマヌジャンが生まれたのか、と著者は疑問を持つ。

「頭脳が極端に秀れた人間というだけなら、確率的にどこにでも発生するのだろうが、美感や調和感の方はそうはいかない。これらは、五感を通して体得しない限り、培うのが難しい。」

インドのどこにそのような美があるのか?その疑問はラマヌジャンも何度も見たと思われるタンジャブールの寺院を見て氷解したという。雄大で精緻な石造建築物を造営するには長年にわたり芸術的感性と技巧を有する多数の建築家や石工を必要とし、美的感覚がこの地には濃厚に存在していたということに気づく。

このような美的感性というのは広く共通性があるようだ。3年前に女性初のチューリング賞を受賞したFrances Allenがインタビュー記事の中で、彼女自身もそうであるが、コンピュータやロボットなどの分野の人は不思議と農村部出身が多い、それには何か理由があるはずだ、と応えていたのが印象に残っている。それは美しい自然の中で五感を通して体得した美感や調和感を子供の頃から身に着けていたからではないだろうかと思うのである。

心は孤独な数学者 (新潮文庫)

心は孤独な数学者 (新潮文庫)